山一の歴史

初代伊藤國将が始めた個人商店から、その後長きに渡り歴史を築く

時代の潮流にも助けられ、昭和後期には「初荷式」を大々的に行うなど立川の顔として隆盛し、社員はモチーフの赤ジャケットを着て、一所懸命働いてきた。しかし平成に入りバブルが弾けると、山一も苦難の波に流されていく。度重なる規模の縮小を余儀なくされるが、平成31年齊藤浩史の代表取締役社長就任を機に再度奮起。山一は再び新たな時代へ向け、漕ぎ出していく。

大正 8年 初代伊藤國将が「叶屋」の屋号にて、本所区菊川町(現江東区)に経帥・襖の個人営業を以て創業。
大正12年 旧陸軍第5航空運行隊が立川に開設されたことに伴い立川市に移転。併せて襖、経帥等の製造販売に進出、官庁御用達に認定される。
昭和11年 日本橋区両国32番地に法人設立、社名を山一板硝子株式会社に改称。同時に日本板硝子株式会社と売買契約を締結し、板硝子の販売を開始する。
昭和16年 本社を立川に移転。
昭和18年 旭硝子株式会社、日本板硝子株式会社と特約店契約を締結。組織の拡大に伴い、社名を株式会社山一商店に改称、工事分野に進出する。
昭和20年 実質、本店を日本橋区両国から東京都立川市曙町1-22-31に移転。
昭和37年 代表取締役伊藤國将の死去に伴い、長男伊藤勇が伊藤國将を襲名し、代表取締役社長に就任する。
昭和38年 東京都町田市鶴間に町田支店を開設し、神奈川地区に販路を拡大する。
昭和39年 不二サッシ株式会社と特約契約を締結。
昭和40年 武蔵野支店を分離し、武蔵野硝子株式会社を設立する。
昭和41年 埼玉県川越市広栄町に川越支店を開設。
昭和42年 傍系の相模板硝子産業株式会社を吸収合併し、相模支店とする。
昭和45年 埼玉県新座市野火止に朝霞支店を開設。
昭和46年 社名を株式会社山一に改称。
昭和48年 埼玉県本庄市に北関東支店を開設し、北関東地区への販路を拡大する。
昭和52年 山梨県甲府市に甲府支店を開設し、山梨県及び長野県に販路を拡大する。
昭和63年 本社ビル完成

平成元年 神奈川県相模原市に神奈川支店を開設。
平成17年 伊藤和枝が代表取締役社長に就任する。
平成18年 YKKAP株式会社と売買基本契約を締結する。
平成26年 本店を立川市曙町1-36-1から曙町2-9-1菊屋ビル7Fに移転する。
平成31年 齊藤浩史が代表取締役社長に就任する。
令和元年 本社を曙町2-9-1菊屋ビル7Fから昭島市福島町2-28-1に移転する。
令和 5年 部品検索システム「KOREKANA」を開発。